鈴木眞哉氏の本は、読んでいて本当に飽きませんよね。
最新の研究により、正しい歴史事情や説を教えてくれるのも楽しいのですが、その逆で、歴史とはどのような事情で間違えてしまうのか、その追跡調査を伺うのも楽しいです。
前にも書きましたが、近代は近世を全否定したうえで成り立ってます。
つまり、明治政府は江戸幕府を否定した上での存在です。
それで徳川に都合の良い歴史人物はファックユーされ、勤皇に都合の良い者がヨイショされるわけで、当然山本勘助みたいな薄汚い存在は歴史から抹殺されますが、近世では一部地域を除いてなにかと悪評だった武田信玄ですから、近代でも好評かと思いきや、特定地域を除いて不評でした。
なぜか?
当たり前です。明治政府も江戸幕府も、根本にある朱子学(水戸学は日本型朱子学です)は変わらなかったのです。
そんな儒教の目線で論じるなら、信玄は父親を追放した極悪人です。
まずはじめに、親不孝者のレッテルを貼ったところから、彼の評価は始められてしまうのです。
ですから過程の正当性など、儒教の知った事ではないのです。
親(&偉い人)への絶対服従と男尊女卑、徹底的懐古主義が、政治の世界における儒教のレーゾンデートルなのです。
過激な懐古主義。発展一途にしか生きられない私らクリエイター組や商人達とは、真っ向から対立するオプションです。
秋津やハルが儒者を小馬鹿にするのも、船長時代の諫早佐五郎が、儒者を東シナ海に放り投げてサメの餌にしたのも、状況も事情も一切汲まないで神経過敏に差別するからです。
儒教とは、独裁者による独裁の為のパワーアップアップキットであり、だから何時も、時の権力者の都合やその時代の趨勢に振り回される事を、私は昨年のお盆に信玄を通じてレポました。
また近い内に加筆修正して出したいと思いますが、信玄というサンプルは結構分かりやすい好例でした。
儒教・皇国史観は、後世の人間から見て思わず抱腹絶倒してしまう歴史解釈が目立ちすぎます。
やる側は大まじめでしょうが、少なくとも未来に対して、思わず「ウケ狙いですか!」とツッコミたくなるくらい、独善的でネガティブな赤面ネタを残してほしくないものです。迷惑ですから…。
確かに現在よりも資料情報が少ないのは分かりますが、それを差し引いても主張は全く変わりません。
水戸・皇国史観では、戦前戦中は特に、天皇には反対意見をしまくり、湊川決戦では、玉砕を部下に強制しなかった楠木正成は、まるで忠犬絶対主義かつ玉砕の神様的存在にまで、好き放題にいじくり回したのです。
勤皇概念自体がまだ存在していない戦国では、毛利元就・織田信秀・上杉謙信・山中鹿介などが忠義と勤皇の武将として厚化粧を強要されました。
彼等がなぜそうしたかという真相は、一切無視です。
ですから、信玄・早雲・道三・長慶みたいな群雄割拠メーカーは、戦争が激化されるにつれ、歴史教科書からそれだけの狭い理由で、リストラ宣告を受けてしまい、乱世が全く乱世の性格を失ってしまったのです。
とはいえ表現手段はひどく不器用過ぎますが、それも全て列強の植民地主義から国を守るための行為だったのです。
そこがウンコタレ軍閥のやってきた事に、完全悪として非難出来ないところでもあります。
堕落しようが暴走しようが玉砕しようが原爆落とされようが無条件降伏しようが、結局私ら子孫たちはみんな、大航海時代から続いてる有色民族総奴隷の恐怖だけは、彼等のおかげ最後まで護って貰えたわけです。
元々明治政府立ち上げの主要素のひとつに、植民地回避がそびえ立っていたのですから…。
とはいえああいう過激な正義は、えてして国を滅ぼします。
そして戦前戦中に大暴走しまくった皇国史観は、歴史を伝える者としての至極当然の義務である、子孫に正しい歴史を伝え残す人間の摂理が、見事なまで完璧に削ぎ落としてしまったのです。
これはもはや歴史ではなく、妄想です。まさに軍閥による『私物化』でした。
当たり前ですが、意図された歴史から正しい未来など、導かれるわけがないのです。
歴史は一体誰の者なのかが、全く見てませんよね。
過去から学んで、良い未来を導かせたいのが歴史と言うのならば、この優先順位は、普通なら「子孫>孫>子供>親>先祖」でしょう。
当たり前過ぎて、記すまでもありません。
しかし儒教では、これは真逆なのです。
だから過去が過剰に美化され、家系図は血統証明からから希望妄想にレベル落ちし、まさにその妄想の正当化のために、巷には偽文書が溢れ出してたのです。
そんな御先祖様のその場しのぎの見栄の為に、21世紀の未だに歴史情報の世界は、夢の島(ゴミの山)状態から抜け出せないのです。
更に勤皇は先祖の上に天皇を置いて、妄想を過激にヒートアップさせてますから、そんな歴史に多くの方が違和感か嘔吐感かトラウマを覚えるのも、そのためでしょう。
残念ながら日本は、近世から終戦(特に軍閥支配時代)にかけて、そんな歴史改竄を頻繁にやってきた、主観一途にスカポンタンな道を歩んできだのです。
このへんは、後世に正しい歴史を伝える為の教訓として知っておいたほうが良いと、私は思います。
その前に、正しい歴史をよく学んで、これに振り回されないようしっかり知的地固めをしておないと、取り返しの付かないくらい大変な事になりますがね…。
私ら作家が歴史をコントロールすることを、歴史小説といいますから、エンタメとして処理されますし、頭からそのつもりで書くのですが、政治が歴史をコントロールをしたら、15年戦争の二の舞を奔るという意味になるのです。
ですからどんな事があっても、歴史は絶対に政治の檜舞台で踊らせてはいけないのです。
まさにその『好例』が、戦前戦中にあるのですから。
歴史を私物化するという事は、自分が抱く現実逃避感情や怨念感情を、正当化して爆発させる危険と直結するからです。
今日から始まった第14章では、実にこれが重要なキーワードとして出てきます。
『夢追い〜』においてでも、そんなKYな歴史を私物化する立場の人間を、ちゅっかり設定させています。
だってそーゆーのは、いつも儒学者の仕事ですもの。
この作品における儒者の立ち位置は、歴史を権力者本位に改竄させた、ある意味皮肉です。
本音は(ヒューマンエラーで歴史を間違えるのなら仕方がないですが)本当に平和国家でありたいのならば、政治と教育で絶対にこんな事をしてはいけないという主義主張です。
彼等を一見ふざけたような書き方をしてますが、それは私がエンタメ屋だからですし、何より彼等の二の徹を絶対に踏んでもらいたくないのです。
そんな設定人物とは、関東管領における金文鉉(架空キャラ)、大内家における相良武任、そして朝廷で「魔物」と言われている連中たちです。
彼等の政敵は、前者は長野業政や小幡憲重ら、中者は陶隆房ら、そして後者には三条公頼ら、そういった営業が得意な行動派の実力者たちです。
間違った歴史情報に、えてして見かけるキーワードのひとつに「儒教(朱子学・水戸学)の影響」があるのです。
しかもそれは他の嘘のケースとは違った、政治謀略的な事情操作がモロに孕んでいるのです。
そんな普通じゃない、孔子の本道すら外れた腐敗儒者が、『夢追い〜』の舞台で自分の飼い主を賛美させる為に、いかにして歴史を彩らせるかという、彼等の過激な正義は発揮されるのでしょうか!?
そこのところも、見所かな…?



