この日本に「難攻不落」を銘打つ城は山ほどありますが、河越城はそこいらの「なんちゃって難攻不落」な城とは違い、何度も敵の大軍の攻撃を退けた実績を持つ城です。
『夢追い〜』でこれから始まる反北条大連合軍が、8万もの兵力をもってしても持ちこたえた実績は流石ですが、扇谷家支配でも朝興の時代に、山内上杉家の猛攻を防いだ実績があるのです。
この城は、太田道灌ベースの縄張りもさることながら、霧隠城という通称もあるくらい、井戸(水源)が豊富にあるのですよね。
これが山城ならば、ひとつしか井戸がない城ばかりになり、皮肉にも篭城兵が多いほど守りは難儀になるのです。
余るくらい豊かな水、これがこの城の強さの最大の秘訣だと思います。
品第301:河越攻め(第7章1節「河越城攻め」5)で、元河越城主扇谷上杉朝定はこう言ってます。
「何処を掘っても水が出る」
天文10(1541)年秋口におきた、氏綱死後直後の朝定のあの河越・江戸攻めは史実ですが、この『夢追い〜』の設定では、いわば今回行われる反北条大連合の河越城決戦の、前フリみたいな節なのです。
山内憲房の力攻めもダメ。近田真孔斎の日干し攻めはKYのため却下。
勘助は三方ヶ原の信玄と同じ「ケツ(背後)丸出しで、おびき出し作戦」を実行しますが、結局北条は警戒し過ぎて不発でした。
ならば今回、彼等(金・菅野・上原とゆかいな派閥の仲間たち)の取る作戦は何でしょうか?
それはどうやら「兵糧攻め」にするみたいですが、北条サイドもしっかりそれを読んでいて、色々と事前準備をしてきました。
それが城自体の防御力の強化はもちろん、玉縄城代の弟北条綱成と叔父北条宗哲の常駐による、指揮系統の骨太化対策。
この2点は、あの扇谷朝定や勘助の河越城攻めの「反省」と「発展」から生まれた教訓です。
有能な河越城代の大道寺でさえ、勘助のケツ見せ作戦で、河越衆は板東武士の尻に火がついて追撃論が大爆発し、指揮が乱され困惑したのです。だから、前フリなのです。
そして更には、排泄能力強化と江戸城との情報確保のための伊佐沼砦の新設と、兵糧備蓄を翌年4月末日分まで入るよう倉庫を増設した事と、永禄時代に信玄に対してやった「塩止め」に見られるような、氏康得意の経済封鎖戦略にあります。
氏康はタイミングをはかりながらも、向こうもさることながら隙を見せてくません。
反北条軍も、そんな隙を見せてくれないのです。
氏康はそんな苦難に悩まされながらも、最後には崖っぷちの最終手段である「決戦は4月」と決めます。
これには、4月でなければならない特殊な理由があるからです。
この戦国乱世の時代では、世界中で当たり前に見かけた現象でしたが、今では世界中でも唯一、どっかの将軍様の国でしか確認出来ないという、学習機能ゼロ(朱子学は「反省」と「発展」を忌み嫌います)もいい加減にしてほしいくらいの怪現象でもあります。
これはこの物語で、管領家を朱子学堕落に設定した理由のひとつにもなっているのです。
しかし作戦を読んでいるとはいえ、あくまでも北条にとっては、4月は生死に関わるとても危険な「ラストチャンス」でした。
北条軍が10倍もの敵に勝った理由は何なのか?
ヒントは「決戦は(兵糧が尽きる)4月」です。
日曜日ではありません。
崖っぷちという言葉が不思議と似合う男、北条左京大夫氏康。
関東戦国時代を根底からひっくり返した河越決戦に、乞うご期待です!


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年内に
