2008年05月10日

お知らせ

多忙などの諸事情もあり、これからはseesaa一本で管理をまとめたいと思います。
武田ネタは、変わらず続けたいと思います。

なのでまことに勝手で申し訳ございませんが、リンク集を『武田幕府』と『夢追い〜』のものとを一括にしました。

もしご迷惑でなければ、これからも変わらず御贔屓のほどをよろしくお願いします。
posted by 久良岐 満 at 16:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「Rambo 最後の戦場」から紐解く「夢追い日記」ネタ



「Rambo 最後の戦場」が24日から公開されますね。
監督主演のシルベスター・スタローン氏も来日して、そのインタビューをテレビで見ましたが、やはりというかテレビでは、氏の強い主張が全く現れていない事が分かり、これもラジオで氏の言葉を聞いて、やっと伝わったことです。

この映画の舞台はミャンマーなのですが、氏は一貫して「Burma(ブーマ=ビルマ)」と言ってます。
ですから恐らく上映時ではランボーたちは、横のブログパーツにもあるように「Burma」と発言しても、字幕では「ミャンマー」と表記されるのだと思います。

なぜなら、日本政府はミャンマーの軍事政権を認めているからです。

しかしスタローン氏は、ミャンマーの軍事政権を絶対に認めないという意味で、ビルマという言葉を使っているのです。

新聞などのマスコミでも、当然その部分を「ミャンマー」と書き換えているのですが、こういうのはいくら政治の方針とは言っても、立派な「改ざん」の部類に入ります。

でも、ここではそういう政治のお話はしません。
日本がミャンマーの現政権に対して、どんな態度をとろうが今は構わないと思いますが、要は他人様の主張を(たとえ「読者視聴者向けに解りやすく」という善意でも)意図的に変えることが、民主主義的に大問題なのです。

とはいえ、ミャンマーもビルマも語源は同じで、意味も例えで言うなら「にほん」と「にっぽん」の違いでしかない(みたい)のですが、1989年6月に軍事政権は、国名の英語表記を「Union of Burma」から「Union of Myanmar」に改称した経緯があるので、同じ意味でも違う解釈がされるのです。



この絶対否定、戦国時代にも例があるのです。
そう、後北条氏です。
大永3(1523)年秋ごろ、伊勢氏綱が北条氏綱と苗字を変えましたが、その理由は関東における己の存在意義を確立するものでした。
具体的に言えば、鎌倉幕府の執権(ナンバー2)であり、相模・武蔵の守護を任されていた北条一族の、華麗なる名跡を引き継ぐというものです。

つまりこういうことです。
ナンバー2とは、当時の関東の政治秩序では、トップにいるのは古河公方(旧鎌倉公方)で、ナンバー2は関東管領(山内上杉氏)です。
なので氏綱は、北条と名乗ることで「あんたに関東ナンバー2の資格なし」という主張し、山内上杉氏(伊豆・武蔵守護も兼任)と対決姿勢を表明したことになります。

そして相模・武蔵守護とは、当時の相模守護は扇谷上杉氏であり、武蔵守護ではなくても、事実上の武蔵守護という世間の解釈もされていました。
というのも、武蔵国の江戸城・岩附城・河越城・松山城と江戸を河口に持つ入間川・利根川(現旧利根川)水系を直接支配しているからです。
なので氏綱は、北条と名乗ることで「お前の土地は全部俺のもの」という主張になるので、扇谷上杉氏に対する宣戦布告にも解釈できるのです。

氏綱にとって「北条」を名乗るということは、山内・扇谷両上杉の存在を全否定したことになるのです。
氏綱がそうしたのも、先代早雲が伊豆を占領してからずっと両上杉氏(特に関東管領、扇谷氏は同盟期間があった時期は言ってない)から「他国の凶徒」または「南方の凶徒」と罵り続け、旧来の伊勢姓を使い続けたからです。
これがどうも、国内外にそれなりの効果があったみたいです。
公式な発給文書にも、「凶徒」という差別用語や「新九郎」という幼名まで見られるくらいですから、彼らにとって後北条氏の関東進出は、相当嫌だったのでしょう。


だもんで我が『夢追い日記』における北条氏は、最初からこの路線なのです。
それをものがたるエピソードも出しています。
第4章で氏綱が河越を占領し、扇谷ゆかりの物を全部燃やした時に、管理人は氏綱に(氏康に対して)こういうセリフを言わせています。

「我らを『他国の凶徒』と罵る以上、両上杉との戦いは、互いの存在意義を賭けた戦いなのじゃ。だから敵の存在ある物は全て消す!」
(品第181:変わる三国(三)(第4章5節「孤高の虎たち」6))

そんな普段は温厚な氏綱が、これまで見せたことがなかった恐ろしいまでの牙を向いたその姿勢に、若い氏康はブルッと来たのです。



あの国はミャンマーじゃない、ビルマだ。だから軍事政権など認めない!
あれは北条じゃない、伊勢新九郎だ。だから今川に帰れ、関東に来るな!
ワシは北条じゃ。戦国乱世の”黒船”じゃあ!

”お前たちの存在など絶対に認めない!”
スタローン氏も両上杉氏も、本来の名前で呼ばないのは、そういう理由からなのです。
そして、今発表している段階での武田氏も、北条氏康のことを「伊勢氏康」と呼んでいるのも、政治的にはそういう事なのです。
でも晴信の本心は、そんなに「伊勢」と呼ぶことにはこだわっていません。共通の敵がいるからです。
父信虎は、神経質なまでにこだわり続けていましたが、その影響がまだ家中に残っていますし、表面上は関東管領とは和睦関係ですから、仕方なく「伊勢」と言ってるだけです…。


『夢追い日記』に見られる関東管領と氏康との戦いも、作品のみどころのひとつです。ぜひ読んでみてください。
この戦いが、上杉謙信に直接つながり、また甲駿相3国同盟の時に、武田にもある事で影響を出しますから、それは今後のお楽しみというところです…。
posted by 久良岐 満 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 『山本勘助の夢追い日記』コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする