2008年05月29日

歴史特別対談 『週間文春』より。 貴方にとっての戦国最高の二代目は誰?

今日発売の『週間文春』で、宮城谷昌光先生と宮部みゆき先生の対談がありまして、これがかなり面白かったです。
ぜひ一読してみてください!


話しは戦国と幕末メインで、やっぱり戦国のほうが要領が多いかな。

武田信玄に関しては、偉大な信玄と、それを意識し過ぎた勝頼を取り上げ、有能な二代目とは何ぞやということで、対談の中盤を盛り上げる材料になっていました。

優れた二代目。
私も興味深いテーマで、これはパパは「カリスマ」であることが前提なのですが、勝頼くんも有能なのに、意識し過ぎなんですよね、本当に…。

そんな勝頼の姿をを私は書いてみたいとも思いますが、『夢追い』からは外れますね。なんだか重くなりそうで、今は勘助で手一杯です(汗)


戦国最高の二代目は誰ですか?
人によって答えは違うのでしょうが、私個人の意見で言えば、それは北条氏綱だと答えます。

何故か、それは敵を増やしながら領地を増やしたからです。
そんな二代目は沢山いますが、氏綱は織田信長みたいに「包囲網」を作られてるのです。
包囲網を作られた二代目は、彼くらいです。
更に駄目押ししたら、息子をカリスマに仕立てましたから。

偉大なカリスマ早雲の外交に対しては、よく言えば柔軟、悪く言えば優柔不断なところがあり、山内・扇谷両上杉とは敵対したり和睦したり、今川に対しては終始低姿勢です。
扇谷系の三浦氏を滅ぼしながら、小弓公坊足利義明の立ち上げでは、その親玉扇谷朝興と共同出資したりと、はた目から見たら、ちょっとこの人訳分からないのです。
でもそれは内側から見たら、全て国内充実のためですから、早雲は大河ドラマにしてほしいくらい好きなんで。

でも氏綱は、そんな父と外交方針は全く違いました。
何と言っても、北条と名乗りましたからね。
死ぬまで両上杉を、はっきり「敵」と位置付けたからです。
山内上杉とは、1度か2度和睦してますが、直ぐに破っていますから、頭から仲良くする気がない表れですね。
今川からは自立したあげく、対等に立ち、最後には敵に回されたくらいの難儀ぶりです。

北条五代の中で、歴史的に一番目立たないと判断されている彼が、実は5人の中で1番アクティブに戦争してるのです。

そんな氏綱は、慈愛の武将と呼ばれています。
矛盾しているようで、実はしていない。

対談にもあるように、二代目に1番必要な要素は、やっぱりカルシウム摂取気を長く持つ事ですね。
氏綱の慈愛は、神仏を大事にした事もそうですが、気長な性格の現れでしょう。

反面勝頼くんは、やはり短気だったのでしょうか?
ボンな一面があるのも否定出来ませんが…。


家康も秀吉も、最後は人格が変わるかを解釈するのも、歴史力を存分に発揮させる魅力の高いテーマかもしれません。
私もこれには興味が高いので、何時か必ず、下手なりにやってみたいと思います。

そんな意味では源頼朝も同じですが、独裁者の気持ちは、一度独裁者を体験しないとダメなのでしょうか?




ならば、出来るかも…(何爆)。
posted by 久良岐 満 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

後北条滅亡が舞台の映画『まつりの朝』

高井城址公園 ロケ地に 斎藤監督作品『まつりの朝』東京新聞:茨城(TOKYO Web))

戦国時代が舞台の新作映画です。
公開日ほか詳細はまだ分かりませんが、斎藤監督のサイトにおおまかなあらすじが書かれています。

娯楽作品ですが、とはいえ最近の戦国ビジュアル作品みたいに、舞台設定だけが戦国というファンタジーなものではない、どこか正統派っぼい雰囲気が漂いますので、かなり楽しみです!
posted by 久良岐 満 at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

ちょっと懐かしかったので

山学大に女子バスケ部が発足
元日立ハイテクの梅嵜英毅監督が就任したのですね!
山梨バスケが更に活性しそうで期待大です!
posted by 久良岐 満 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

武田信虎列伝:天文九年八月の風台風

1539(天文8)年には、甲斐国ほか各地に不作がおこり、災害や疫病も蔓延します。

そんななかで1540(天文9)年、甲斐国はじめ周辺では激しい雨と風が降り荒れます。

五月六月大雨降候、世中サンサンニ候処、又八月十一日ノ暮程ニ大風吹候而、亥剋迄三時吹申候。大海端ハ皆浪ニ引レ、山家ハ大木ニ打破ラレ、堂寺宮悉(ことごとく)吹タフシ申候。地下ノ家ハ千ニ一万ニ一御座候。鳥獣皆死申候。世間ノ大木ハ一本モ無御座候。去程ニ世中ノ事申ニ不及候。殊ノホカ物一向無御座候。浄泉寺モ吹タフシ申候。諏方ノ鳥居ヲモ吹タフシ申候。
『妙法寺記』

甲斐国の飢餓常態は毎年の事ですが、梅雨の長雨に加えて、この8月の台風は記録も具体的で、元冦の時に吹き荒れた「ムクリ風」みたいだと言われ、また、芝をむしり取るくらいの物凄い風という意味の「シハマクリ風」とも呼ばれるくらいでした。
災害に強いはずの大寺院の多くが倒壊し、禁裏にも被害が出たくらい、相当なインパクトを持った風台風でしょう。

この台風は11日の日暮れに暴風が甲斐国に吹き荒れ、午後10時ごろから翌日朝4時ごろまで、風台風として甲斐を襲いました。
この台風も、西は近畿地方(『鹿苑日録』『長享年後畿内兵乱記』『熊野年代記』)から東海・甲信(『勝山記』『王代記』『塩山向嶽禅庵小年代記』『神使御頭之日記』)・関東(『快元都僧記』『赤城山年代記』『年代記配合抄』)から東北南部(『会津塔寺八幡長帳』)へと縦断して、各地に甚大な被害を与えたのでした。

そしてこの秋には作物は取れず、冬には全国各地にて稀に見る大飢饉が起きるのです。


このため、隣国の相模小田原城主北条氏綱は、嫡子氏康への代替わりのために、色々と準備を始めます。
これは飢饉に苦しむ領民に「代替徳政」を認めて、国内の混乱を抑えようとするものでした。

信虎の甲斐国では、そのような動きは見られませんでした。
前月から「私元号」を用いた文書が出回るようになり、嫡子晴信による信虎追放の理由とされている、信虎の「悪行」も、この台風がもたらした大飢饉の時には、既に行われていたと見るべきでしょう。
posted by 久良岐 満 at 03:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 武田信虎列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

『水滸伝』と『甲陽軍鑑』の摩訶不思議な共通点

奇説珍説完全妄想ですので、『夢追い〜』ネタ程度に見てください。


【正論】「胡訪日」以後 評論家・鳥居民(MSN産経ニュース
これを読んで気になる一文がありました。
「色の黒い小男で、容貌(ようぼう)は醜く、才能もない」

私は恥ずかしながらも中国史はあまり知らないのですが、『水滸伝』の主人公宋江(ウィキディペア解説)は「黒三郎」とも呼ばれていました。
だから毛沢東は、あのようなバッシングをしたのでしょう。
才能が無いとは、偏見の言い過ぎたというのは、分かりやすいですね。

彼みたいな小さくて色黒で醜いって、これ、日本史上の人物に条件ピタリの男がいますね。

そう、われらが山本勘助です。


品第11には、勘助の容姿のことが点々と書かれています。
その中にあるものは、「さんざんな醜男」「そのうえ一眼」「指も不自由で足も不自由」「片輪者(ビッグマウス)」「小男」と、品第24でもボロボロに言われていまして、以上に加えて「色は黒い(汚い)」とあります。


それで類い稀な才能が溢れ、庶民の人気も現在進行型ですから、このアウトサイドヒーローの2人は、なんだかよく似てますね。

偶然なのでしょうか?


もし「チビ・クロ・ブサイク」がキーワードになるのならば、それは山本勘助という存在よりも、むしろ『甲陽軍鑑』という書物かもしれません。


ちなみに、容姿の件に関して、実は勘助にはモデルになった人物がいるのではないかとも推測され、それは『軍鑑』の作者のひとり、大蔵彦十郎ではないかと見られています。
勘助の片足片腕は、大蔵がそうだからダブらせたのだと憶測されているからです。


もし赤字の3つがキーワードなら、ちょっと面白い事があるのです。


毛沢東は中国を建国した人です。
歴史の教師をやっていたことですから、国の基礎固めのためには、儒教史観にも統制にもやかましい人だということが見えてきます。
それで世界中からアンチ民主的とヒンシュクを買い、現在にまで引きずるのです。

なにせ国家の立ち上げの時期です。自分中心に社会を構築させたいのです。
でも反乱分子もまだ数多く潜んでいるという、デリケートな社会背景があるのです。

そしてこれは、江戸幕府にも同じ事が言えるのです。
幕府草創期のメディア支配ですが、家康時代は金地院崇伝(仏教)ですが、秀忠時代からは林羅山(儒教(朱子学))です。
つまり、大名統制(改易など)が異常に頻繁に行われていた時代です。

そんな元和のピリピリした空気の中で、編纂者の小幡景憲は『軍鑑』を世に出すのです。


それで庶民に、夢と希望を与える雰囲気の強い天才武将山本勘助の存在は、将軍護持の身分制でガチガチに固めたい幕府の儒教的中華主義にとっては、目障りになるのは明々白々です。
夢と希望とは、見方を変えれば、既成の価値観破壊活動を導きやすい考え方です。

ですから、そんな下層の人気が非常に高い宋江を、毛は忌み嫌ったのも儒教を照らせば理屈になるのです。
となれば『水滸伝』がこの世に残れたのも、宋江の風貌を、あえて地に落としたからだという、作者側の英知というか、したたかさがあったのではないかという仮説さえ出来そうです。


でも、勘助なしに信玄のサクセスは成り立たない事も動かせない事実です。
この辺の事実と江戸幕府基礎固めという現状のギャップを、景憲は懸念したのでしょうか?

そこまで分かりませんが、『軍鑑』にある勘助最大の謎は、彼は武芸達者で一流の知恵者で築城の天才でありながら、身体障害者扱いしないといけないのか、なのです。

これはある方の受け売りなのですが、別にハンディキャップのある人を差別する意味で言うのではありません。
身体が不自由にもかかわらず、勇者を倒したり砥石崩れでは殿軍を買って出たりと、健常者ですら仰天するくらいの機敏の良さなのです。
これは、ミステリーとしか言いようがありません。


儒教には『身言書判』という、封建的な外見至上主義の考え方があります。
整形大国の起源として有名なこの考え方が、障害者さえ忌み嫌うイデオロギーでもあります。
これが過敏に反応するワードの中に、恐らく「チビ・クロ・ブサイク」があるのでしょう。

『水滸伝』も『軍鑑』も、この外見が事実であれ虚構であれ、あえてそう使う事で権力の魔の手から逃れ、また下層の反乱のネタ元にされることからも避けさせ、それで世渡りが出来たのではないかと私は妄想してしまうのです。

まさか小幡くんは、『水滸伝』のこれを見抜いたのでしょうか?

謎が深まるばかりというか、勝手に謎を増やしてどないすんねん!


ならば、明治以降『軍鑑』が散々なまでに叩き潰された理由に、これは繋がります。
発刊した年代を考えれば、『軍鑑』には江戸儒教対策がふんだんに盛り込まれている訳ですから、それがスパイスにある以上、史実よりも当時の最高権力者の都合で、メディアを成立させないとならないのです。

そして、そんな近世を全否定したのが近代です。
勘助否定の第一人者だった田中博士が、勘助を全否定したのには、そんな明治時代の空気があったからです。

要は昭和43年、北海道で「くだ助」の文字がある市川文書が発見されるまで、私達はみんな、秀忠・羅山の推し奨めた毛沢東も顔負けの儒教(正確には、生き残りの為の編者の儒教対策)に、無惨なまでに振り回され続けた事になるのです。
ならばそれだけ『葵三代』時代の儒教とは、非権力者サイドにとって、恐ろしくも厳しいものだというひとつの目安になりますね。


歴史を読む、日本史や東洋史に必要なカテゴリーの中に「儒教・皇国史観を見抜いて、正しい歴史情報に洗い直す」事があります。
なぜなら、戦国以前の歴史は、例外なく近世・近代を通過して現在に伝わってるからです。
この視点は、一人よがいなネガティブキャンペーンが多分に認められますので、それでピカピカにされすぎた部分と汚された部分を、いかに見抜いて多方面からメスを入れながら修復できるかという、結構ハイな能力です。
とはいえこれはプロの歴史家レベルですから、そこまで身につけるのは難儀でしょうが、私ら素人も、ある程度は知っておくと便利でしょう。
反日史観対策にも応用できますし、戦前・戦中の大暴走した同じ過ちを繰り返さない為の、根本を見抜ける眼力にもなります。
両者とも、火元は同じ朱子学ですから…。
ですから、これを知らずに字面主義にはまると、必ず蟻地獄に陥りますからよ。


新しい資料が発見された時に、いの一番にやらなければならない事は、真偽の確認です。
系図作成が特に言えますが、大低の偽文書が生まれる背景には、『軍鑑』がそうだったのと同じ儒教(=当時の権力者)対策があるからです。

日本の歴史が嫌われる根本原因は、ゆとり教育もそうですが、江戸の朱子学と近代の勤皇(ネタ元は同じ朱子学ですが)が、自分本位に歴史をいじくり回し、ひどく散らかしたまま終戦と同時に消滅したからです。
そんな意味で、徳川光國の『大日本史』と頼山陽の『日本外史』は、日本史の世界におけるA級戦犯だと言われた方は、卓見です。
確かにプラス面の成果も沢山ありますが、結局は偉い人の器の広さ狭さに翻弄されるのですから…。

それに儒教は、毎度の事ながら作家(正確には著作または著作権)殺しを好んでやりますので、その辺は私情が混じって恐縮です。

とはいえ、グチャグチャにされた歴史を修復せねばならないそのツケ払いは、現在にまで至り続けられているのです。



色々とずれてしまいましたが、勘助と宋江の「チビ・クロ・ブサイク」、本当かどうかは、おそらく永遠の謎でしょう。





っつーことで、どうでしょうか…?(ケロロ軍曹風に)
posted by 久良岐 満 at 04:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 『山本勘助の夢追い日記』コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

信玄堤のルーツ、中国四川省の大地震でやっぱり…。

Image031.jpg中国最古の水利施設、世界遺産「都江堰」にも大地震被害YOMIURI ONLINE(読売新聞))

中国最古にして世界遺産、また信玄堤のネタ元ではないかとも推測さえされている、四川省の都江堰は、やはり地震の影響を受けていたのですね。
甲斐国と都江堰を結ぶ(だろう)人物が、あの蘭渓道隆和尚(写真)ですが、その話は今回はなしです。


ちょっと治水のお話になりますが、都江堰の下流には、規模も疑惑も世界最大級である三峡ダム(工事中)があります。

元々地震&地滑り多発地帯に作ったのです。影響がないとも思えないのですが、大丈夫なのでしょうか?


三峡ダム「異常なし」=中国(時事ドットコム

とはいえ共産党の言う事ですから、他国のメディアとの合致作業が出来ないうちは、どこまで信じて良いのかは、誰も知る由も無いのです。


イギリス人の利水学者フィリップ・ウィリアムスの言葉です。
「三峡での破綻は、史上最悪の人災になるであろう。」

『夢追い〜』の治水娘、龍治の言葉もついでにと…。
「上流のツケは必ず下流に行く。」
大規模な潅漑と排水(地震で大量の汚物が流されるのは、目に見えてますから)が住血吸血虫病の脅威を招くのですが、この問題は四川や中国の中央部を中心にまだ解決してませんよね?

『夢追い〜』では、すでににゃんと第1章に出しています。
それは、今川氏輝を瀕死に追いやった(治ったけど、だから殺された)宮入貝問題です。
この問題は、将来龍治姉さんは語ります。


とにもかくにも、ウィリアムスが懸念した『悪夢のシナリオ』よりも、更に悪質なシナリオがこの地震で封切られませんように…m(_人_)m。


下流の3億5千万人の生命財産に、ストレートに関わりますから…。
posted by 久良岐 満 at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 『山本勘助の夢追い日記』コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月12日

結局、自分から歩むしかないのよ…!

映画字幕で業界が四苦八苦 若者の知的レベル低下が背景か?(MSN産経ニュース

洋画と字幕は、このセリフに対して訳者がどういう日本語を使っているのかが、私にとっての洋画を楽しむ理由のひとつですが、字幕のレベルを意図して落とさないと飯が食べられなくなる彼等の嘆きには、ついつい共感してしまいました…。

漫画ブームから活字離れに向かい、ゆとり教育が始まり、ケータイ小説非難から字幕嫌いへと、そこまで若者の評価が地に落ちるのですか、と驚きが隠せません。

(渡辺)杏さんを褒めた矢先でしたので、でも、認めないといけないのでしょうか?
信じたくはありませんが…。

ゆとり教育が犯罪だという意見は、よくわかりました。

他人のせいにするのは構いませんが、だからと言って、自分の力で求めて学んで解決するしか、道はないでしょう。
いくら社会を批判したところで、誰も貴方を助けてくれませんから。

ゆとり新社会人が、この先どんな伝説を作るかに興味などありません。
彼等が将来政治の中心世代になるとき、キンノーボケボケ軍閥主義者よりも質が悪くなるという予測にも関心はありません。
「知るは一時の恥」ですから、それが遅かろうが早かろうが構いません。結局は覚えた者勝ちですからね。

だから、今の社会がそう悲観するのならば、そうなりますからね、きっと…。

知識豊かにネガティブに批判するのは確かに気楽ですが、ポジティブになるのは大変に感じる世の中なのですか?

決して違うと思います。
それにのめり込まれた人達が、勝手にそんな空気を作ってるだけだと、私は思います。


一概に活字頼みの、私が向かいたい作家の世界。

この先どないなるのやら?

これでメシを食いたいと思うなら、素人並に考えないといけない時代なのですね…。
posted by 久良岐 満 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

映画「フライングラビッツ」

Image029.jpgオフィシャルサイト

配給:東映
監督:瀬々敬久
原作:深田祐介(「翔べ!ラビッツ〜新世紀スチュワーデス物語」より)
脚本:山名宏和
出演:石原さとみ、真木よう子、渡辺有菜、鹿谷弥生、滝沢沙織、白石美帆、高田純次、あじゃ、大杉漣

キャビンアテンダントを夢見て大手航空会社に入社できたゆかり(石原さとみ)は、ひょんな人事ミスからバスケ部に入れられてしまい、てんやわんやする燃焼系コミカルムービー。
実在のWリーグ所属チーム、JAL RABBITSのサクセスがネタ元になっています。

この映画自体も、企画が一度はお流れになったものの、めでたく復活して昨年の夏に撮影が始まり、ようやく9月13日に公開が決まり、ホッとしました。
なにせ多忙すぎて忘れてしまい、今頃気付いたのですが…。

そんな管理人がドサクサに紛れてエキストラ出演(満員の客席のどこかにいます…)している映画だったりします。

見てね!
posted by 久良岐 満 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「J-WAVE ブックバー」テーマは歴史

ナビゲーターは大倉眞一郎さんと杏さん。
この4月から始った本好きのための番組で、私もよく聞いてます。

昨日は「歴史」がテーマでした。
杏さんのお勧めは「幕末新撰組」(池波正太郎作)。
永倉新八が大好きで、本棚の半分が幕末新撰組だという、まだ22なのにかなりの通でこの人すごいなー、と関心しまくりです。
私も戦史と幕末は、いづれ勉強しないといかんのですが、歴史作家の先生がたは、このような通をうならせないと食べていけませんから、そんな意味でも彼女の幕末ヲタぶりは参考になります。

次に大倉眞一郎さんのセレクトは「影武者 徳川家康」(隆慶一郎作)です。やった、戦国だ!
家康は少し自信があります。私の戦国好きの起源はは、実は信玄ではなく家康でしたからね!だから信玄に来たのですが…。

この小説は活劇ですが、飽きないですよね!

ふたりの会話ははずむから、楽しいです。
幕末に行きたい杏さんに対し、奈良時代に行きたい大倉さん。
食事の再現を見るのでは解らないから、食べてみたいという気持ちは、私も同感です。


最近「タモリ倶楽部」でやった玉川上水を散歩した特集もそうですが、通を唸らせる日本史ヲタのイドバタ番組は、何度でも見聞きしたいものです。
posted by 久良岐 満 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

お知らせ

多忙などの諸事情もあり、これからはseesaa一本で管理をまとめたいと思います。
武田ネタは、変わらず続けたいと思います。

なのでまことに勝手で申し訳ございませんが、リンク集を『武田幕府』と『夢追い〜』のものとを一括にしました。

もしご迷惑でなければ、これからも変わらず御贔屓のほどをよろしくお願いします。
posted by 久良岐 満 at 16:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「Rambo 最後の戦場」から紐解く「夢追い日記」ネタ



「Rambo 最後の戦場」が24日から公開されますね。
監督主演のシルベスター・スタローン氏も来日して、そのインタビューをテレビで見ましたが、やはりというかテレビでは、氏の強い主張が全く現れていない事が分かり、これもラジオで氏の言葉を聞いて、やっと伝わったことです。

この映画の舞台はミャンマーなのですが、氏は一貫して「Burma(ブーマ=ビルマ)」と言ってます。
ですから恐らく上映時ではランボーたちは、横のブログパーツにもあるように「Burma」と発言しても、字幕では「ミャンマー」と表記されるのだと思います。

なぜなら、日本政府はミャンマーの軍事政権を認めているからです。

しかしスタローン氏は、ミャンマーの軍事政権を絶対に認めないという意味で、ビルマという言葉を使っているのです。

新聞などのマスコミでも、当然その部分を「ミャンマー」と書き換えているのですが、こういうのはいくら政治の方針とは言っても、立派な「改ざん」の部類に入ります。

でも、ここではそういう政治のお話はしません。
日本がミャンマーの現政権に対して、どんな態度をとろうが今は構わないと思いますが、要は他人様の主張を(たとえ「読者視聴者向けに解りやすく」という善意でも)意図的に変えることが、民主主義的に大問題なのです。

とはいえ、ミャンマーもビルマも語源は同じで、意味も例えで言うなら「にほん」と「にっぽん」の違いでしかない(みたい)のですが、1989年6月に軍事政権は、国名の英語表記を「Union of Burma」から「Union of Myanmar」に改称した経緯があるので、同じ意味でも違う解釈がされるのです。



この絶対否定、戦国時代にも例があるのです。
そう、後北条氏です。
大永3(1523)年秋ごろ、伊勢氏綱が北条氏綱と苗字を変えましたが、その理由は関東における己の存在意義を確立するものでした。
具体的に言えば、鎌倉幕府の執権(ナンバー2)であり、相模・武蔵の守護を任されていた北条一族の、華麗なる名跡を引き継ぐというものです。

つまりこういうことです。
ナンバー2とは、当時の関東の政治秩序では、トップにいるのは古河公方(旧鎌倉公方)で、ナンバー2は関東管領(山内上杉氏)です。
なので氏綱は、北条と名乗ることで「あんたに関東ナンバー2の資格なし」という主張し、山内上杉氏(伊豆・武蔵守護も兼任)と対決姿勢を表明したことになります。

そして相模・武蔵守護とは、当時の相模守護は扇谷上杉氏であり、武蔵守護ではなくても、事実上の武蔵守護という世間の解釈もされていました。
というのも、武蔵国の江戸城・岩附城・河越城・松山城と江戸を河口に持つ入間川・利根川(現旧利根川)水系を直接支配しているからです。
なので氏綱は、北条と名乗ることで「お前の土地は全部俺のもの」という主張になるので、扇谷上杉氏に対する宣戦布告にも解釈できるのです。

氏綱にとって「北条」を名乗るということは、山内・扇谷両上杉の存在を全否定したことになるのです。
氏綱がそうしたのも、先代早雲が伊豆を占領してからずっと両上杉氏(特に関東管領、扇谷氏は同盟期間があった時期は言ってない)から「他国の凶徒」または「南方の凶徒」と罵り続け、旧来の伊勢姓を使い続けたからです。
これがどうも、国内外にそれなりの効果があったみたいです。
公式な発給文書にも、「凶徒」という差別用語や「新九郎」という幼名まで見られるくらいですから、彼らにとって後北条氏の関東進出は、相当嫌だったのでしょう。


だもんで我が『夢追い日記』における北条氏は、最初からこの路線なのです。
それをものがたるエピソードも出しています。
第4章で氏綱が河越を占領し、扇谷ゆかりの物を全部燃やした時に、管理人は氏綱に(氏康に対して)こういうセリフを言わせています。

「我らを『他国の凶徒』と罵る以上、両上杉との戦いは、互いの存在意義を賭けた戦いなのじゃ。だから敵の存在ある物は全て消す!」
(品第181:変わる三国(三)(第4章5節「孤高の虎たち」6))

そんな普段は温厚な氏綱が、これまで見せたことがなかった恐ろしいまでの牙を向いたその姿勢に、若い氏康はブルッと来たのです。



あの国はミャンマーじゃない、ビルマだ。だから軍事政権など認めない!
あれは北条じゃない、伊勢新九郎だ。だから今川に帰れ、関東に来るな!
ワシは北条じゃ。戦国乱世の”黒船”じゃあ!

”お前たちの存在など絶対に認めない!”
スタローン氏も両上杉氏も、本来の名前で呼ばないのは、そういう理由からなのです。
そして、今発表している段階での武田氏も、北条氏康のことを「伊勢氏康」と呼んでいるのも、政治的にはそういう事なのです。
でも晴信の本心は、そんなに「伊勢」と呼ぶことにはこだわっていません。共通の敵がいるからです。
父信虎は、神経質なまでにこだわり続けていましたが、その影響がまだ家中に残っていますし、表面上は関東管領とは和睦関係ですから、仕方なく「伊勢」と言ってるだけです…。


『夢追い日記』に見られる関東管領と氏康との戦いも、作品のみどころのひとつです。ぜひ読んでみてください。
この戦いが、上杉謙信に直接つながり、また甲駿相3国同盟の時に、武田にもある事で影響を出しますから、それは今後のお楽しみというところです…。
posted by 久良岐 満 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 『山本勘助の夢追い日記』コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

スメラギさん

Image023.jpgユーフォーキャッチャーにて、スメラギさんのフィギュアをゲットしました。

機動戦士ガンダム00はリアルタイムで見ていないので、深夜の再放送を録画して内容を楽しませて貰っています。

しかし、00は露出が高いですねぇ…(^^ゞ
やっぱりチキュー温暖化ですか(爆)
posted by 久良岐 満 at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする