今の長野県富士見町で繰り広げられた、壮絶な合戦と言われてきました。
えっ、過去形ですか…!
そうです。
ここ20年くらいでしょうか、この合戦を取り上げた武田信玄関連本を私は知りません。
というのも、これは実際にあったのかどうかが疑われている合戦なのです。
むしろ、今では存在否定傾向が強いです。
そりゃそうです。
文献面での証拠が、なにひとつないのですから。
この合戦を伺えるものは、ただ『甲陽軍鑑』ひとつです。
それも、武田信玄対信濃4将(小笠原長時・諏訪頼重・村上義清・木曽義昌)というスタイルを取っています。
いわば、信濃国が欲しい信玄にとって、その中ボス4人を倒さなければ大ボス(上杉謙信)を倒せないストーリー展開なのです。
うちでは、武田と諏訪のガチンコですがね。
だから『軍鑑』の、瀬沢合戦前後をよく確かめると感じるのですが、なぜこの合戦が最初にピックアップされたかのでしょうか?
ということを考えてみると、いわば信玄が信濃に攻めますよ〜、という時に、その代表選手をここで始めて紹介した、だから読者のみなさん覚えてくださいな、というような、自己紹介的な構成になっているのです。
というか、これが私が『軍鑑』を読んだときの瀬沢合戦の感想です。
だから、ここは編纂者の小幡景憲が、加筆か修正したのではないかと、私は予想しています。
では、現実この合戦があったかどうかは分かりません。
ただ、この周辺に何等かの大きな合戦はあったと思います。
でないと、小幡景憲はネタにしないでしょう。
確かにありました。
1541年3月ではなく1527年8月です。
相手は、武田信虎対諏訪頼満でした。
これは、神戸・堺川合戦と呼ばれる衝突で、前半は武田、後半は諏訪の勝利と言われる戦いです。
まるで、どこかの川中島合戦みたいですね。
しかも、信虎の相手は諏訪大明神の生まれ変わりですから、なんだか不思議な親子の縁ですね。
余談はここまでにして、あったんじゃないのですか?
武田晴信と諏訪頼重との国境での熾烈なバトルが…。
それが瀬沢合戦と呼ばれていなくても良いのです。
ただ『夢追い〜』で、何故この戦いを必要としたのか?
それは、信玄ファンなら誰もが知る、あのチョー有名なセリフに重厚感を与える為です。
ヒントは既に出ています。
さて、何でしょうね?


今日は筆を休めて、●年ぶりに
